前島に関する年表を整理しました。
こんなことあったよ~というものがあれば、コメントお願いしま~す。
ほの/きいち
地区の成り立ち
550年前
1451年
●
長虹堤が築かれて以後、急速に堆積が進み、泊、兼久の砂洲とともに前島の地が形成された。
生業の形成
およそ250年で居住地が進む
1694年
●前島の潟原に塩田を開き、塩の精製が始まる。
史料における前島の製塩最古の記録(「由来記」より)
さらに30年が経過
1728年
●潟原(カタバル)を開放して、一部を居住地とすることが許され、住民は塩浜の小作人として、塩の生産にあたった。
さらに150年余り
琉球処分後の流れの中で
1896年 (明治29年)
●塩田は那覇区の区有地とされ、住民は借地して製塩を続けた。(もともと泊の地は首里とのつながりの方が強かった)
1907年 (明治40年)
●煙草とともに
塩も専売制になる。
利益は著しく低下し、製塩高も年々減少した。
1909年 (明治43年)
●塩田16町余り、釜数97、製塩高925石、金額2083円が昭和15年には塩田11町余り、釜数42、製塩高13510トン、金額1008円と減少。
1921年 (大正10年)
●那覇区と泊村が合併。那覇市となった際に町名が
祟元寺町、高橋町、前島町に変更になった。
泊村の拝所が前島町の区域になったので、泊村の拝所を前島町が管理することになった。
●那覇市となった際に共有地が処分された。
1933年 (昭和8年)
●兼久と前島二丁目をつなぐ新道ができる。今でいう海中道路。
→現在の前島3丁目と前島1丁目2丁目が濡れずに行き来できるようになる。
第2次世界大戦
1944年 (昭和19年)
●製塩業が終わる。元来、当地には農地が少なく、牧志に出作したり、人力車や日雇い労務、帽子編みに従事する人が多かった。
戦後の復興の中で
1952年 (昭和27年)
●
戦災復興区画整理事業開始。
1954年(昭和29年)
●旧泊小学校開放。
●泊港開港、その後那覇市に移管される。
●泊埋立工事竣工。
▼市勢要覧1994年より抜粋
若狭埋立工事。戦後那覇は息をふきかえした。1950年代から60年初期にかけ埋立工事を盛んに行った。都計工事での立ち退き者、米軍に土地を接収された市民の移転先として公有水面の埋立が必要であった。泊港南・北岸、若狭海岸、安里川下流、国場川、漫湖などが埋め立てられ、住宅地・商業用地として活用されていった。米施政下における埋立工事は、埋立許可・免許・所有権譲渡等、米軍の権限に属し、領土問題として那覇市議会、立法院でも取り上げられた。1954年泊の埋立工事が行われ、泊埋立居住区(現・前島)には、那覇軍港拡張整備のため土地が海没した垣花一帯の住民や牧志街道(現・国際通り)、美栄橋土地区画整理事業で立退きになった住民の受け入れ移転先となった。
1955年(昭和30年)
●泊埋立地に垣花区民120戸割当。
●戦災復興那覇第1地区区画整理事業開始。
1957年(昭和32年)
●前島小学校開校。
1958年(昭和33年)
●前島幼稚園開園。
●泊小学校開校。
1959年(昭和34年)
●若狭、泊幼稚園開園。
1964年(昭和39年)
●祟元寺橋完成。
●前島1丁目にて交番用地として減歩された土地に借地権を訴えている住民がいる。これに対して抗議文を前島町民有志一同が那覇市議会へ送り、陳情。(現在は、派出所になっている。)
いわゆる共有地問題!
1967年(昭和42年)
●若松市営住宅完成。
1971年(昭和46年)
●泊保育所開所。
●戦災復興那覇第1地区区画整理事業の換地処分。
1972年(昭和47年)
●那覇・泊・那覇新港を一元化、市が管理運営。
●
泊製塩業者の子孫、前島青年代表、とまり会が「泊塩田之跡碑」を建立。(5月15日)
1973年(昭和48年)
●国道58号線沿い大陥没。長さ90メートル、幅65メートル、およそ6000平方メートル。陥没事故としては、戦前戦後を通じて最大。(11月26日)
1979年(昭和54年)
●若狭市営住宅完成。
●若狭児童館オープン。
●若狭浦保育所開所。
1980年(昭和55年)
●若狭公園開園。
1981年(昭和56年)
●前島町共有地と拝所の管理運営を行うため、財団法人の設立準備委員を選出。(1月)
●名称を前島塩神保存会に決定(3月)
●ヒーマーチの御願を挙行した。町内外から多数の参拝者あり。(10月12日)
1982年(昭和57年)
●
前島塩の神様の拝所の再建。10.10空襲で焼けたが、37年ぶりに復元。予算が無いため、旧町民有志が素人大工で取組んだ。
1985年(昭和60年)
●泊大橋架設。
1986年(昭和61年)
●泊大橋開通。
1987年(昭和62年)
●泊ふ頭若狭緑地オープン。
1988年(昭和63年)
●泊港橋(とまりみなとばし)が完成。
1989年(平成元年)
●「泊ふ頭開発株式会社」設立。
1990年(平成2年)
●暴力団抗争で高校生射殺。(11月22日)
●
暴力団壊滅市民対策会議設置。
1992年(平成4年)
●若狭図書館・公民館開館。
●市営若狭海岸駐車場オープン。
平成4年
●「焚字炉」が財団法人泊先覚顕彰会ととまり会によって建立。(4月)
1993年(平成5年)
●泊ふ頭再開発事業の旅客ターミナルビル建設工事始まる。
1994年(平成6年)
●泊ふ頭旅客ターミナルビルの愛称「とまりん」に決定。
参考・引用文献
◆「泊人の足跡」昭和60年8月15日/著者:松村興勝
◆「写真で見る旧泊祟元寺町高橋町前島町の変遷」1996年9月/とまり会
◆「前島町のアルバム」平成5年1月吉日発行/編集発行:前島暁生会
◆「21世紀をめざして 戦後50年特集 那覇市勢要覧'94」1995年3月発行/発行:沖縄県那覇市